第6話 営業ツールをうまく活用すれば……

■営業マンと営業ツール

 9月も中旬に入り、プロ野球も優勝争いが熾烈になってきました。
営業3課では先週までキャンペーンを行っていた、スポーツ新聞の求人枠ご成約のお客様向けのチケットが10枚ほどあまり、スポーツ新聞社さんのご好意で譲っていただけることに。
しかも、人気のガイアンツ対タイタンズという伝統のカード!
これはお客様と仲良くなるきっかけになりそうですね。

実直「野球が好きなお客様を担当しているのは誰だっけ?」

張切「オレッス! お客様で熱狂的なタイタンズファンの社長さんがいるっす! 先週もクローザーの活躍で大盛り上がりッスよ!」
実直「音無さんがこないだ提案書を出していた翼菊製薬さんって、ヨクキクヒーラーズって草野球まで作っているぐらい野球好きのお客様じゃなかったっけ?」

音無「あ、あ、ハイ……! そ、そうです! ハイ!」
実直「それじゃ、2人に5枚ずつ渡すから、“お客様と仲良くなる”を目標に、うまく活用してよ」

野球が好きなお客様は多いですし、張切さんはお客様と一緒に観戦する気マンマンのようです。
あれ……あれは、音無くん、浮かない顔で実直マネジャーに相談していますね。

音無「実直さん……僕、野球というか、球技が苦手で、ま、まったくわからなくて……その、チケットいらないです……」
実直「せっかく野球が好きなお客様とのつながりあるのに……うーん、なんかそれはもったいないと思うよ」
音無「そうなんですけど、ぼ、僕は球技にいい思い出がないんです……すみません……」
実直「野球好きのお客様がいる、チケットがある、これらは事実なんだし、もうちょっと考えてみようか。そこまで野球に詳しいわけじゃない僕が、ここまでもったいないって思うんだしね」 音無「は、はい……」

うーん、これはもったいないですね……。

実直「野口先生! ちょっと質問があります!」
野口「さっそくですね。どうぞどうぞ」

■使えるツールは使わないともったいない

 実直マネジャー、さっそく野口に相談です。
もちろん、内容は先ほどの音無くんの件ですね。

実直「僕は自分が好きかどうかではなく、『ここに使える営業ツールがある』ということから考えるので、いまいち『自分が好きかどうか』という部分が、ツール活用という前提にあまり入らないんですよね……」

野口「そうですね」
実直「活用することによって、プラスになることはあってもマイナスになることはありませんし」
野口「それは野口もそう思いますね。もったいないと思います」
実直「僕は自分の得手不得手でチャンスを見逃してしまうのがもったいないと思うんですけど、音無さんは自信がないのでパスしたいと言っています。どうすればいいでしょうか?」

野口「まずは実直マネジャーの今言った考えを音無さんに伝えてみましょうか」
実直「もったいないですよね……、伝わるでしょうか?」
野口「伝え方は、音無さんのスタイルを理解している実直マネジャーにおまかせします」

実直「はい。頑張ります」

 実直マネジャーの捉え方で、まずは間違いないですね。
我々は営業マンです。
目の前に営業ツールがあり、それを最大限使えるお客様がいる……という状況で、使わないという選択肢を選ぶのは、その営業ツールがもったいないですし、申し訳ないとすら思います。

 まずは、もったいないという側面で音無さんにアプローチですね。
それと野口はもうひとつ、実直マネジャーに野球観戦という営業ツールの本質を伝えています。
これは実際に行ってからじゃないと伝わらないので、実直マネジャーも「言うタイミングは自分で決めます」と言ってましたし、マネジャーとしての腕の見せ所……ですね!

■まずは知ってみよう

 実直マネジャー、さっそく音無さんと打ち合わせのようです。

実直「音無さん、やっぱりタイタンズのチケット、お客様に提案しよう」
音無「……」
実直「僕は思うんだ。営業マンはいろんなタイプのお客様と接するよね。だからこそ、お客様のことを知ることからリレーション営業が始まると思ってる」

音無「……ぼ、ぼくもそう思います」
実直「それだったら、頑張ってみよう。もったいないと思うよ、せっかくのチャンスだし」

音無「……や、野球しらない僕と、い、一緒でもおもしろいんですかね……」
実直「うーん」

花咲「難しい顔してますねー! もしかして、こないだの野球チケットの話ですかー?」
実直「あ、は、花咲さん、そうなんです」

花咲「難しい顔してますねー! もしかして、こないだの野球チケットの話ですかー?」
音無「あ、は、花咲さん、そうなんです」

実直「花咲さんよくわかったね!」
花咲「いやいや、席が近いんですからわかりますよ!」
実直「そうだね、聞こえるよね」
花咲「しっかりしてくださいよ、もう! ……言いたいことはそれじゃなくて、私のお父さん、バッカルーズの私設応援団の役員してるんですよ。もし良かったら、この3人で明後日の試合行きませんか? チケット取ってもらいますし」
実直「いいの? ちょうどいい機会だし、音無さん行こうか」

音無「ええ、そ、そんな、ここ、心の準備が……」
花咲「行きましょうよー! 心の準備は明日すればいいですし!」
実直「明後日だね! 僕、何年ぶりだろ、野球観戦するの」
花咲「球場観戦は楽しいですよ。音無さん! さ、気合入れて応援ですよ!」

音無「ほ、ほんとに行くんですか……そ、そんなぁ……」

 これは意外な展開です。 急展開で野球観戦を観に行くことになったようですね。すごくラッキーだと思います。 経験してみることは、大きく人の価値観を変えることになりますし、これは報告が楽しみですね。

■見て知ることは大きな経験

……1週間後。

実直「野口先生!」
野口「実直マネジャー、どうでしたか?」
実直「音無さん、翼菊製薬さんの担当者さんと昨日野球観戦に行ったんです」

野口「へぇー! 凄いじゃないですか!」
実直「実は先週、ライオネルズ対バッカルーズの試合をナニワドームで観たんです。せっかくですし、音無さんに野球観戦を体験してもらおうと思いまして」

野口「詳しく聞かせてください!」
実直「ええ、実はですね」

 仕事帰りに観戦に来た実直マネジャー、音無さん、花咲さんの3人。
試合はすでに3回裏、0-0でバッカルーズの攻撃です。

花咲「間に合いましたねー!」
音無「す、すごい、お、応援ですね」
実直「音無さん、1塁側なんだね」
花咲「かっとばせー! 綱井!」
音無「は、花咲さん、な、慣れてるんですね……」
花咲「私……実はバッカルーズファンなんです!」
実直「お父さんが私設応援団だしね……」

花咲さん、やっぱりバッカルーズファンだったんですね。

実直「やっぱり球場はいいね。音無さん、どう?」

音無「は、はい、ひ、広いし、すごい歓声で、圧倒されます」
実直「実際来てみると、野球に対する見方が変わったんじゃないかな」

花咲「せっかくですし、ほら音無さんももうちょっと楽しみましょうよー!」
音無「で、でも、どうすれば……」
花咲「そうですね。ナイスプレーに拍手でいいですよ。そんなところから野球に親しみを感じてもらえれば」
実直「花咲さん、本当に野球好きなんだね」

花咲「意外ですか? 実直さんは野球好きです?」
実直「うーん、子供の頃、よく六甲山球場に行ってたよ。ルールはわかるし、野球は好きかな」

花咲「良かった?! 私、野球好きですけど大丈夫ですよね?」
実直「え? 大丈夫なんじゃないの? 僕はいいと思うよ」

花咲「良かったです……お父さんも男は野球好きがいいって言ってましたし……」
実直「お父さん? なんか、関係あるの?」
花咲「な、なんでもないです! あ! ライオネルズの攻撃が終わりましたよ! さ、音無さん拍手拍手!」
音無「は、はい!」

実直マネジャー、相変わらずですね。
試合自体は、バッカルーズのディルバルス選手のホームランでサヨナラ勝ち。
遅い時間になったので、花咲さんとはお別れして、音無さんとラーメンを食べに行った実直マネジャー。

実直「今日の野球観戦どうたった?」

音無「え、ええ……こ、これなら、僕でも大丈夫です……」
実直「それは良かった。音無さん、これで翼菊製薬さんを誘えるよね」

音無「……はい」
実直「お客様が好きな野球について、今日、音無さんは知ることができた。今後、音無さんが知らないことや苦手なことを好きなお客様と出会うかもしれない……」

音無「……はい」
実直「その時は、もう苦手だからしないって選択肢を選ばないよね」

音無「は、はい、す、すぐには無理かもしれないですが、す、少しずつ、お客様に近づけるように頑張っていきます……。ぼ、僕は営業マンですし……!」

実直「ゆっくりでいいよ、今日はいい経験になったと思うし」
音無「はい! ……でも、野球を好きになることはないです……」

実直「ま、まぁ、そんなもんだよね」

実直「……というわけだったんです」
野口「実直マネジャーやりますね! 人間って一度経験すると2回目からはリラックスできますしね」
実直「そうなんですよね。おかげで、今日は翼菊製薬さんから電話でお呼びがかかっています」

野口「へぇー! 効果でてるんですか?」
実直「はい、そのようです」

■リレーション構築は関係を前進させる

 一緒に野球観戦を行くまで音無さんと翼菊製薬さんとの関係は、音無さんからご提案し、ニーズを探るという形でした。
もちろん、こちらから熱心にアポ取りをし、時には断られることもありました。

実直「昨日、一緒に六甲山球場に行って、さっそく電話がかかってきたんですよ」

野口「電話が? それはどういうことですか?」
実直「今まで、翼菊製薬さんから電話なんてかかってきたことなかったんですよ」

野口「わお! それはおめでとう!」

 実直マネジャーは野口のマネジャー研修で学んだ“相手を知るには、まず自分のことを話してから”を組み合わせて、翼菊製薬の担当さんを誘うように営業指導したようです。
嘘をつかずに素直に伝えて、その上で提案するように。

緊張しながら切り出す音無さんが目に浮かびますね。

 球場では、選手の名前のついたお弁当をごちそうになって、野球のルールなども教えてもらったらしく、少し野球について詳しくなり、お客様との距離も近づいたようです。 その結果が、本日の呼び出し電話ですね。
こういう、リレーションシップの構築が形になるとモチベーションにもつながりますし、きっと、音無さんの自信につながったことでしょう。
また、一緒に観戦した翼菊製薬さんは担当者さんだけでなく幹部クラスもご一緒だったようで、今後、決裁がスムーズに行くかもしれませんね。
あ、そんなことを言っているうちに音無さんが帰ってきました!

時間を共有する営業ツールの本質

 笑顔で実直マネジャーの元に向かう音無さん、本当に嬉しかったんでしょうね。

音無「そ、その、せ、専門職向けの求人が取れそうです!」
実直「良かったね! その感じで頑張ってね」
花咲「すごいじゃないですか?! 私たちとの野球観戦は無駄になりませんでしたね! 実直さん!」
実直「うん、そうだね」
音無「は、花咲さん、あ、ありがとうございます!」
花咲「いえいえ、また行きましょうね♪」
実直「しかし、応援している花咲さん、会社では想像できない感じだったよね」
音無「え、ええ……そそそ、そうでした」
花咲「えー、そうですか? でも、いいじゃないですか?、私のプライベートですよ! レアじゃないですか??」

実直「そうだよ、それがいいんだよ! 普段の花咲さんじゃない花咲さん、それなんだよね!

音無「そそそそんなこと、急に言われても困ります!」
実直「音無さん、それが時間を共有する営業ツールの醍醐味なんだよ」
音無「だ、だ、醍醐味ですか……」
花咲「……営業ツール……ね……」

 そうなんですよね。
この普段とは違う一面を知ること、これが時間を共有する営業ツールの本質です。
今回、バッカルーズファンの花咲さんもそうですし、球場で選手の名前のお弁当を一緒に食べた翼菊製薬の担当さんと音無さん、こういうシチュエーションは応接室では絶対に見ることはできませんよね。
時間を共有する営業ツール、野球観戦だけでなく、接待やゴルフもそうですね。

  • 商談ではない場所で
  • お客様と同じ時間を過ごす
  • その中でお互いの違った一面を共有する

これこそが、こういった営業ツールの本質です。もちろん、目の前にあるチャンスを見過ごすのはもったいないという部分もありますけどね。
いいタイミングで実直マネジャー、音無さんに伝えることができました。

音無「……べ、勉強に、なります……」
実直「お互いが違う一面を見せる。しかも、仕事じゃない一面というのは、新鮮だしね」

花咲「……何かと思ったら、仕事ですか。たしかに、私も実直さん、音無さんの普段とは違う一面を見ることができて、新鮮な気持ちになったのは認めます」
実直「音無さんは、結構こういう営業ツールを避けてきた部分あるよね」

音無「……は、はい」
実直「今回の件でこういった営業ツールの良さもわかったんじゃないかな? きっと音無さんも営業マンとして視野が広がったと思う」

音無「……す、少しずつにはなりますが、が、頑張ってみたいとは思っています」
実直「今はそれでいいよ、少しずつ慣れていこう」

音無「……はい!」

 音無さん、たしかに今まではこういったツールをうまく活用していませんでしたし、今回の一件で間違いなく意識は変わったと思います。
今回、実直マネジャーはラッキーにも助けられて、いい感じの着地点を迎えることができました。
お客様へ歩み寄る手段の選択肢を指導できましたし、言うことなしですね。
良かったです!

 そして、一ヶ月後……。
そこには深刻な顔をしている実直マネジャーの姿が……!

実直「野口先生……ご相談が……」

一ヶ月前とはうってかわってげっそりした実直マネジャー……、一体何が実直マネジャーの身に起こったのでしょうか?
(7話に続く……)